トルコとエジプトは似てる?:料理から
ほトルコから地中海を南に下ったところにエジプトという国があります。
エジプトと言えば、ピラミッドや小鳥の頭をした神様など古代文明で有名なところです。
エジプトの正式名称は「エジプト・アラブ共和国」であり、アラブ人の国ということになっています。公用語はアラビア語(のエジプト方言)です。
宗教はイスラーム教徒が多数派ですが、キリスト教徒(「コプト」と呼ばれる)も全人口の4分の1はいるそうです。
アラブ人と一口に言っても、イラクのアラブ人、シリアのアラブ人、エジプトのアラブ人・・・など地域によってさまざまです。
みなアラビア語話者ですが、書き言葉はどこも同じであるものの、話し言葉は地域によって方言があるようで、アラブ人同士でも出身地が違えば会話で分かり合うのが困難だとか。
見た目も、例えばトルコにいるシリア人は顔の形が四角形で色白なのに対し、エジプト人はまるく色黒です。エジプト人の中には古代エジプト人の顔かたちを彷彿とさせるような人もいます。
さて、トルコ人は周辺の中東諸国を自分たちより下に見る傾向があり、エジプトに対しても「汚い国」という認識があるようです。
筆者がエジプトに旅行に行くことを話した時も、周りのトルコ人に「なぜエジプトに行くんだ?!」とか、「エジプトは水がよくない。ペットボトル入りの水でもダメだと言うから、トルコから水を持って行くように」と言われ、あたかも人の住まない異世界に探検しに行くかのような反応をされました。(一般にトルコ人はけっこう保守的なので、自分たちの住む世界とヨーロッパ以外は人の住む国じゃないと思っている傾向があります。日本も例にもれず)
もちろんトルコから水は持ち込まずに現地で買っておいしくいただきました。
今ではトルコとエジプトの心理的距離はかなり開いていますが、その昔、トルコもエジプトもひとつの国だった時代がありました。16世紀から19世紀までの約300年間、トルコ系王朝のオスマン朝によってこれらの地域は治められていました。エジプトがオスマン朝に支配される前は、マムルーク朝というトルコ系の王朝の下にありました。
その名残か、エジプトではトルコ語から入って来た言葉がそれなりにあります。例えば、「橋」を意味するトルコ語「キョプリュKöprü」がアラビア語風に訛った「クブル」などです。エジプト人は「キョ」とか「リュ」といった小さな”や、ゆ、よ”が付く音が言えないようです。
食べ物を見ると、トルコとエジプトでそれなりに共通点があることが分かります。
(トルコから入って来たのか、それともエジプトからトルコに入ってきたのかは分かりません)
たとえば、トルコの家庭料理として初夏の季節によく見られる「サルマ」という料理。これはブドウの葉で米や薬味を包み、鍋で茹でて出来上がりの食べ物です。葉巻のような形をしています。
トルコのエーゲ海沿岸地域などはブドウの栽培がさかんな所で、初夏の頃、地面に落ちたブドウの葉を集めて作ります。
初夏が旬ですが、この時期に集めたブドウの葉をオリーヴ油につけて保存用にしたものは冬に市場などで売られています。
これと料理がエジプトにもあり、形や中身がほぼ同じです。
また、エジプトを代表する料理に「コシャリ」があります。
コシャリはマカロニと米、豆をトマトソースで味付けして混ぜ込んだ炭水化物の塊りのような食べ物です。あえて言えば、日本のそばめしのようなものでしょうか。
エジプトでは米の値段がマカロニなどに比べ高いので、物価が上がるとコシャリの中のお米の割合が減るそうです。毎日同じお店でコシャリを食べていれば、米の割合から物価の変動が見えてきそうですね。
コシャリの語源は諸説ありますが、そのうち一つが「混ざる、混ざった」という意味のトルコ語「カルシュクkarışık」が訛ったというものです。
トルコにはコシャリと同じ食べ物はありませんが、似たものに「ピラフ」があります。
米が主ですが、中には米の形をした茶色の小さなマカロニや、豆が入っています。ただ、トマトソースが入っていないだけです。
エジプトのコシャリもトルコのピラフと同じ仲間と見れるかもしれません。
もう一つ、エジプトを代表する料理が、「ハト」です。
日本でそこら辺にいるハトです。トルコにもそこら辺にたくさんいます。
エジプトでは肉屋などで食用のハトをケージで飼い、アルミホイルに包んで蒸し焼きにしたりするそうです。さすがにそこら辺で飛んでるハトを捕まえて食べているわけではないようです。残念ながら筆者はエジプト滞在中、ハトにチャレンジすることができませんでした。
トルコ人にこのことを話すと、「信じられない!」という反応が返ってきました。筆者も同じ心境でした。
しかし、
昔のトルコにはハトを食べる文化があったのです。
それは16世紀のオスマン朝の首都イスタンブルでのことでした。ハトを食べ始めたのはトルコからが先かエジプトの方が先なのかは分かりませんが、エジプトがオスマン朝に征服されたのがこの時代なので、エジプトからイスタンブルにもたらされたのかもしれません。
その後、一方ではハトを食べることをやめ、もう一方では現在に至るまでハトを食べ続けて国を代表する料理となりました。
トルコにおけるハト食文化は、エジプト征服後の一時的な流行りだったのかもしれません。
トルコもエジプトも当の本人同士は互いに相手のことを「自分とはちがう」と思っていますが、食という深いところで何世紀にわたって同じものを共有してきたことを思うと、まるで少年漫画の主人公とライバルの関係を見ているような、なかなか感慨深い思いに駆られるのでした。