英語を話す非英語圏のひと
お久しぶりです。
家に帰る途中に乗った地下鉄はガラガラでした。月曜日の夜だからでしょうか。
車内には空席が目立ち、難なく座ることができました。
わたしの前の席に向かい合って中年の男女が座っておりました。女性の方は多分トルコでも東アジアでもないどこかの国の方で、男性の方はこちらから顔は見えませんがおそらくトルコの人でしょうか。お二人は英語で会話をされていました。
女性の方は出身の訛りが強めで、男性の方がよりネイティブっぽい発音でお二人とも達者に話していました。
空いている車内にはトルコ人が数名とわたし一人しかいないので、二人の早口の英語は社内に響きます。
遠目にじっと見つめる人もいて、わたしも好奇心から会話を耳に入れてみました。
女性の方はそうでもないのですが、男性の方は話すメロディーの具合や相槌の打ち方が「それっぽく」て、こちらから顔は見えないのですが、おそらく眉を吊り上げたり両手のひらを上に広げて上下に動かす動作をしているであろうことが想像できました。
何というか、ひと昔前のアメリカのホームドラマやイギリス映画に出て来る俳優の言い回しを大げさにしたようなしゃべり方で、そこには本来のその人自身から乖離している感じが漂っていました。
今回で何人目でしょうか。そんな話し方をされる人をこれまで何人も見てきました。日本人、トルコ人、他の国の人々・・・
彼らは実際をだいぶデフォルメした形で話した後、母国語に戻るとごく自然体な表情と落ち着いたトーンに戻ります。その切り替えの鮮やかさゆえに英語を話している時の「本当じゃない感」が余計にくっきりと浮き出るのではないでしょうか。
もちろん言語にはそれぞれ特有の話し方ジェスチャーが付いて回るので、ある言語を話す時にそこの国の人にある程度なりきってしまうことはあると思います。
しかし不思議なのは、特に英語を話す時になぜそうなるのか・・・ということです。
英語が上手な人ならまだしも、そうじゃない人までそのような話し方をされる人がいるので不思議です。
前にも電車でおじいさんと思しき人に超スローな英語?話しかけられましたが、やはりそのような話し方でした。
世界共通の現象に首を傾げながら夜も更けていきます。