ひつじの国からメェるはバァ

トルコ☆ローカル☆見聞録

キリスト教徒のトルコ人

ある町にてイタリア系のカトリック教会に入った時のこと。

入り口にいる管理人らしき男性が話しかけてきました。推定40歳前後、黒髪で雰囲気はどことなく東南欧の人のようです。彼のトルコ語にはアクセントがあり、どうやらトルコ人ではなさそうです。

 

そこで、聞いてみました。「トルコの方ですか?」(失礼に当たらないよう一応)

そうしたら、彼は答えました。「ブルガリア難民のトルコ人です。」

さらに言いました。「わたしはカトリックキリスト教徒です。」

 

 

近代から現代にかけてオスマン朝が解体する中で、あるいはその後の政治的動乱の中で、旧オスマン領各地に住んでいたトルコ人は、オスマン朝、これが解体した後はトルコ共和国に難民として大勢移住してきました。彼もそのようにしてブルガリアからトルコに逃げて来た難民の一人なのでしょう。

 

しかし、「カトリック」であると聞いた時、大変驚きました。なぜなら、「トルコ人イスラーム教徒」の図式が頭の中に出来上がっていたからです。

実際、トルコ共和国にいるトルコ人の大部分はイスラーム教徒です。

また、国としても。国旗にイスラームのシンボルである三日月と星が描かれているなど、政教分離を原則としながらもイスラーム教を前面に出してきました。

特に、現政権はイスラーム教系の政党が母体になっていることもあり、政治全般にイスラーム教色が濃厚です。

 

しかし、トルコ人の信仰する宗教は、必ずしもイスラーム教だけではなかったのです。圧倒的多数のイスラーム教徒に比べて少数ですが、トルコに住むトルコ人の中にはカトリックや正教のキリスト教徒もいます。

また、トルコ国外のトルコ系民族として、「ガガウーズ Gagauz」と呼ばれる人々がいます。

彼らは、トルコ語に近い「ガガウーズ・トルコ語」を話すキリスト教徒のトルコ系民族です。モルドバ共和国からウクライナ西部に分布し、人口は全部で24万人前後を数えます。13世紀にカトリックや正教を受け入れたのが始まりのようです。

 

しかし、外国人である筆者はおろか、トルコにいる多くのトルコ人イスラーム教徒)にとっても彼らの存在は抜け落ちています。

 

トルコ人は政治的な思惑の中で自らのアイデンティティー確立に苦心してきた人たちと言えます。

オスマン朝の末期、欧米列強の圧力や干渉と、吹き荒れる民族主義の気運の中で、支配下にあった地域が次々に独立して帝国が解体するのを食い止めるため、国をまとめる思想を次々と考えだしました。

最初は既存の領土全てを含む「オスマン主義」、それが失敗するとイスラーム教という宗教を用いて中東地域の一体化を図った「パン・イスラーム主義」、それも失敗すると今度は中央アジアのトルコ系の取り込みを意図した「パン・トルコ主義」が出てきます。そして、これが現在のトルコ人アイデンティティーのもとになりました。

それは、「トルコ人中央アジアからやって来た」という”神話”(事実ではあるが、時代が下るにつれて混血や多民族のトルコ化が進んだことにより、血縁的な連続性はほぼ皆無)を信じ、イスラーム教徒であり、オスマン朝の子孫であることを意識する、という三つの要素から成り立っています。

筆者も前に、「中央アジアにいた時代のトルコ人の英雄と同じ名前の、熱心なイスラーム教徒で、オスマン朝讃美者」という「トルコ人」を絵に描いたような人物に会ったことがありますが、おそらく彼のような人は他にも大勢いるのでしょう。

 

そのような現代のイデオロギーあるいはアイデンティティーが共通理解とされており、現政権がそれを助長する中で、キリスト教徒のトルコ人は一体どのように扱われるのでしょうか。

 

 

 「トルコ人」って誰なんだろう?

と問いかけるきっかけをくれる人たちが、彼らなのです。