音楽から見た文化圏:日本、トルコ、西洋
小中高の音楽の授業で疑問に思ったことが二つありました。
教室に掛けられていたベートーヴェンなどクラシック巨匠たちの肖像画(のレプリカ)。
音楽鑑賞の時に西洋のクラシック音楽が流れること。日本の音楽についてほとんど触れられないこと。
日本の音楽の授業で、なぜ何百年も昔の外国人について勉強するのか?
日本に音楽は無かったのか?
と思わされたものでした。
今の日本の音楽シーンを見てみると、ポップス然り、ロック然り、西洋のクラシック音楽の延長線上にあるものばかりで、現代の日本人にとってなじみのある音楽は、もはや西洋音楽になっています。
小さい頃からピアノを習っていた筆者にとっても、一番身近な音楽はクラシックでした。
さて、初めてCDでトルコの伝統音楽を聞いた時、思わず「気持ち悪い」と思ったものです。
慣れればその良さが分かるようになってきましたが、家族と一緒にいる時にCDを流したら、概ね不評でした。
「気持ち悪い」と感じる理由は、使われる音の種類が異なるからです。
トルコ音楽で使われる音の数は西洋音楽に比べてずっと多く、西洋音楽の一音と次の一音との間に、さらに9つの音があります。
西洋音楽に慣れた耳が西洋音楽にないこれらの音を聞いた時、「気持ち悪い」と感じることになります。
Youtubeで三味線の名手の演奏に対して「ピッチがずれている」と評した西洋人らしき人がいましたが、これと同じことでしょう。
ちなみに、日本の伝統音楽では5音のみ使われ、トルコ音楽とは音の数が大きく異なりますが、曲の雰囲気はどこか似ています。
筆者が初めてトルコに来て音楽を聞いた時に「演歌に似ているな」と思い、演歌を聞いたトルコの人たちは「アラベスク(トルコの伝統音楽の意。なぜかフランス語由来。そしてトルコはアラブではない)に似てる」と言います。
どこか精神が似ているのでしょうか。
さて、世界を切り取って分類しようとする際に、「文化圏」という概念が用いられることがあります。多くの場合、言語や宗教を対象にしています。
これに対し、身体感覚と結びついた音楽は、言語や宗教以上に文化圏なるものをむき出しにしていると言えるでしょう。
それは「気持ち良い」/「気持ち悪い」という感覚によってはっきりと区別されていくことになります。
例えば、
・17世紀にトルコのとある都市に来たフランス人旅行家
(トルコとフランスの音楽を比較して)
「トルコ人は泣き、フランス人は歌う」
・中央アジア出身の友人
トルコの歌は泣き声に聞こえる。中央アジアや日本の歌は自然に近い
・家族
オペラは女のヒステリーに聞こえる
多少のグラデーションはありますが、時を経て現在に至る「文化圏」を感じ取ることができます。
ところで、演歌なども慣れないうちは気持ち悪いと感じた自分は、日本の文化を失い、西洋化されてしまったと言えるのでしょうか。