トルコ式ネコの呼び方
「イヌ派かネコ派か?」
という議論がひと昔前に日本で流行りましたが、「好きな動物は何か」という問いの裏にあらかじめ用意されている選択肢は、ずばり「イヌかネコか」です。
そしてこうした問いは、イヌかネコという対象物の好み自体を聞いているのではなく、おそらくその動物が持つイメージを通した自己紹介を意味しているのでしょう。
この場合連想されるイメージとは、イヌの場合は凛々しい、素朴、剛健、ネコの場合は甘え上手、柔和、気ままといったものでしょうか。
実際の人間というものはもちろんそのように単純な二分法で割り切れるものではありませんが、こちらとあちらにグループ分けするというのが、どうやらわたしたちは好きなようです。
人間に最も身近な動物たちの代表格の生き物を象徴化した「イヌかネコか」議論も、その延長線上にあると言えるでしょう。
さて、そんなイヌやネコは、ここトルコにもたくさんおります。とりわけ路上に。
彼らは共に「野良」として、”自力”で食料を獲得するため日々たくましく生きているのですが、彼らの持つ雰囲気は日本人の我々が想像するものとは大分かけ離れています。
まず、イヌですが、彼らの多くはやつれ、毛並みも悪く薄汚れ、日が照る間は路上に寝そべっております。人の往来があろうがなかろうがお構いなし、道路の真ん中に横向きあるいは丸まって寝ています。
店の入り口の前で寝ていた時は、泥吹きマットか何かと本当に勘違いして、あやうく踏んでしまうところでした。
そのくらい威厳がありません。
ところが、夜中になると起き上がり、複数で自分たちの縄張りを見張ります。
持ち場はそれぞれ決まっており、嗅ぎなれない匂いの持ち主(たいていは車かごみ回収人のゴミ袋)が縄張りに近づくとものすごい勢いで吠え掛かります。でもそれだけです。
一方、ネコはイヌ同様薄汚れてはいるものの、普段からもう少し生命力があります。
外のベンチでケバブを食べようものなら虎視眈々と肉片を掠め取る機会をうかがい、「にゃー」と甘ったるい声で鳴いてみたり、テーブルの上に飛び乗って実力行使に出たりと、緩急使い分けた攻撃を仕掛けてきます。
そこには「柔和さ」のかけらもありません。
ネコは気ままな独り者と思われがちですが、路上のネコはたいてい群れて活動しています。特にカフェやレストラン、ゴミ捨て場の近くで。
そしておそらく、彼らもイヌ同様、縄張りを持っています。
なぜイヌよりネコの方が若干の威厳があるかについて、イスラーム教の教えが関係しているかもしれません。
イスラーム教の預言者ムハンマドは、なんでもネコが好きだったとか。それイスラーム教の中でネコの待遇は良くなっています。
一方、イヌの方はとくに良い地位を与えられず。
もちろん狂犬病など現実的な理由もあるとは思いますが、預言者の好みが現状に多少なりとも反映していそうです。
そのためかトルコには(も)ネコ好きは多く、たくさんの人が路上ネコを撫でなり餌をあげたりして触れあっている光景がよく見られます。
彼らがネコを呼ぶ時に発す音が、「pspspspspsps・・・(プスプスプスプス)」という破裂音。
筆者もネコの気を引くがためだけにこれを練習し、見事ネコを振り向かせることができました。
ネコの機嫌にもよりますが、8~9割の確率でネコが反応します。
中東や中央アジアの国々では、これの他に「ksksksks・・・(クスクスクスクス)」も使われるそうです。
どちらも破裂音ですね。
ちなみに、日本では「ねこちゃーん」と日本語で話しかけてみたり、「にゃー」とネコの声真似をしてネコの気を引こうとする場面を見かけます。
筆者は試したことはないのですが、多くの人がしているので、おそらく日本のネコにはこれが通用するのでしょう。
トルコで日本流のやり方を試したところ、全く反応されませんでした。
この違いは何か?
日本とトルコにいるネコの種類に一部を除大きな差はないので、ネコ側の事情からではなく、人間の方に理由がありそうです。
つまり、人間がネコをどう見ているか?ということ。
日本の場合、人間の言葉で話しかけたり、あるいはネコの鳴き声に似た音を発することで、人間がネコを取り込むかネコに人間が取り込まれるかの形で同じ空間をつくり出し、ネコとのコミュニケーションを取ろうとします。
一方、トルコなど、破裂音を出す地域では、ネコのツボ自体を把握した上でそれを刺激することでネコの気を引こうとします。なんだかネコを振り向かせるにはこちらの方が手っ取り早い気がします。言語も選びません。
それでは、日本のネコにトルコ式で呼びかけた場合、どんな反応があるのでしょうか。
日本でぜひ試してみようと思います。
ところで、ネコはレモンの香りが苦手なようです。
野良ネコに食べ物をさらわれそうになった時は、そっとレモンを嗅がせてみてください。